DTPディレクター紺野慎一氏に聞く!こぶりなゴシック誕生秘話【後編】|こぶりなゴシックの命題と今後の書体を考える
こぶりなゴシックW0のリリースを記念して、DTPディレクターである紺野慎一氏をお迎えし、こぶりなゴシックの苛烈な開発と課せられたミッション、そして書体作りの未来に至るまで熱く語っていただきました。DTP草創期の空気感を感じる前編に引き続き、後編ではこぶりなゴシックがどのようにして作られたか、そして今後の書体制作にいたるまで語っていただきます。
インタビュアーは前編に引き続きヒラギノフォント公式note編集部の正木です。
特定の雑誌用の書体×DTPに移行するための書体を作るということ
正木:
半年もないなかで3ウエイトとは壮絶なスケジュールですね。
紺野:
そこから創刊まで3か月ぐらいだったと思います。漢字もヒラギノを縮小するとはいえ微細な調整が必要ですからかなりの工数かかるわけで、さらに組版やデザインの面からさまざまな注文を付けました。
組版からの注文としては、当時均等に1歯字間を詰めるという指定が当たり前にあったんですが、字面を小ぶりにすることで、1歯詰め指定に対応できるフォントとしました。
紺野:
組版の面では英数字は完全な半角にしました。これは当時多くのデザイナーにとっては「写植の組みがすべて」だったのでDTPになっても写植の組みを再現しようとするんですが、DTPのフォントは基本的に英数字がプロポーショナル(字幅が文字によって変わる)なので、文章によって行長がまちまちになるんです。そこで半角幅になる外字フォントを使うなどで再現していくわけですが、こぶりなは英数字を完全な半角にすることで写植の組版を再現しやすくしました。もちろん今ならInDesignなどでOpenTypeのフィーチャーを使えばできますが、当時はそんなことできないし、やろうとすると相当手間がかかる。
一方で女性誌のスケジュール進行は尋常じゃないんですよ。赤字がカンプに糊で貼られた紙にびっしり書いてあって、しかも責了だ、明日には下版だと。責了(〔「責任校了」の略〕印刷所に責任を持たせて訂正させ、校正を終了すること)って大嫌いな言葉の一つですが、日常茶飯事だったんですよ。「DTPだから簡単でしょ」と思われることも遠因にはあって、自分たちで首を絞めた側面もあるんですよね。
当時の環境や慣習、過密なスケジュールがあって、こぶりなはそれに対応する形にしよう、ということで決まっていった部分がありますね。そうしたことを伝えながら、短い期間できっちり応えてもらいました。
こぶりなゴシックの命名秘話
正木:
創刊まで激動の日々だったわけですね。名前はどのように決まったのですか?
紺野:
創刊の1ヵ月ぐらい前ぐらいじゃないかな。最後の最後、ある程度の目鼻が付いてからです。
紺野:
SCREENと字游工房、そして凸版印刷がどうするのかっていうのを京都に行って1日でやったんです。そういった大事な話と共に、打ち上げが一番の目的でしたね(笑)。みんなで京都に集まりました。関係者が全部集まったのはそれが最初で最後だったと思います。中間の駆け引きとかそんなことは一切なかった。もう物理的にやらなきゃいけないことの方がはるかに大きかったですからね。
フォントの名前を決める理由として、当時の複雑な出力のラインで問題ないことをテストするために、フォントをビルドする必要があったということがあります。時間がないということが最後までヒヤヒヤでした。「今日決めなきゃ間に合わないぞ」って。
なので最終的な契約の話と平行して名前も考えていて。先に二社がまとまって、凸版印刷の人間がまた別室に行って。その間もずっと名前が決まらなくて、みんなでホワイトボードにいろいろ書き出すけどどれもしっくりこなくて……。もう3、4時間たった頃かな、ほとほと疲れてちょっと一旦休憩、みたいになって。そこで同行のひとりが
「そもそもこの書体は小ぶりな……あれで……」
ってふっと言ったんですよ。「今何て言った?」「え?こぶりな?」「それよくない?」みたいな話になって。それでこぶりなになったんですよね。
紺野:
このパンフレットにも書いてますけどサブリナっていう語感はイメージして作っていたって鳥海さんも言っていたんですよ。こぶりなとサブリナって語感は似ているし、硬いイメージは避けたかったってこともあったし。「ふ」や「な」っていうこぶりなのなかでも特徴的な平仮名も入っていますよね。
そうしたことから、その瞬間みんなが「もう、それしかない!」となって。「はいじゃあ飲み行こう!」って。そういう感じでしたね。本当に決まらなかったらどうしよう、って思ってました。
正木:
さまざまな条件がピタッとはまったんですね。SCREENとしては漢字の提供とビルドを行うということですか。
紺野:
そうです。ちなみに今回のこぶりなゴシック W0もおりぜ(当時は字游工房で「こぶりなゴシック」の製作に関わっていた、岡澤慶秀さんが代表を務める会社)さんによるデザインということなので、引き継がれているようで嬉しいです。当時も散々注文を付けて対応してもらいましたから。
紺野:
ただ作ればいいってことじゃなく、繰り返しフィードバックをしつつ喧々囂々のなかで取り組みました。書体デザイナーからも「その後の書体でいろいろ注文を付けられても、こぶりなを思えば余裕」という話も聞きました。
こぶりなの文字作りは写植の文字作りをしてきた書体デザイナーからすると、当時なかった切り口だったと思うんです。DTPは写植と違ってオープンであるがゆえに、書体制作の現場と相互のやり取りをしないと生き残っていけないんじゃないですか、みたいなことを僕から偉そうに言ってましたよ。それから技術的なことだけじゃなく、今のにじみブームみたいなアナログとデジタルの中間という意味でもこぶりなって最初だなと。ましてゴシックだし。かなり手の込んだ形をしているんですよ。だからほかの書体にこぶりなの仮名が収まっていたらどうなってただろうとも考えてしまいますね。
こぶりなゴシックが一般化するまで
正木:
苛烈な開発期間を経て創刊に間に合っていくわけですが、その後その女性誌のための書体でなくなったのはどんな経緯なのでしょうか。
紺野:
会社としてはもったいないということになったんでしょう。とにかくこぶりなゴシックを売ろうとなったわけです。まずは印刷受注の販促的な意味合いで配る、そして同業他社には高解像度フォントをライセンスする、という二段構えで始めました。
全国のデザイナーへ物理的にこぶりなゴシックを持って熱く語って回ったんです。そこでデザイナーから「これは良いね」って言葉を聞くのが本当に嬉しくて。それを聞くために回ってましたね。否定的な反応はなかったと思います。それで実際に印刷の受注につながったり、こぶりなゴシックをライセンスしたりすることにつながっていきました。
正木:
その後2006年にSCREENから一般販売します、と聞いてどのように思われましたか。
紺野:
いいことだと思いました。インハウスでしか使えない書体といえば聞こえは良いですけど、書体ってインフラであるべきと思ってますから。その後僕が関わった凸版文久体はまったくオープンでやろうという発想でした。もうすべてのプラットフォームになんでもいいから載せてくれというぐらいのつもりでね。なのでこぶりなゴシックが2006年SCREENさんから一般製品化するということに関しては、もう全然ウェルカムでした。
それからMORISAWA PASSPORTですよね。こぶりなゴシックを含むヒラギノフォントがバンドルされると聞いて、おおって思いましたね。サブスクでこぶりなゴシックがより使われるようになった側面は間違いなくあると思うし、僕の目から見てもこぶりなゴシックを街で見る機会が圧倒的に増えました。
こぶりなゴシックへの変わった距離感と変わらぬ思い、これからの書体作り
正木:
現在、紺野さんのクリエイティブにおいてこぶりなゴシックはどういうポジションになったのでしょうか。
紺野:
そうですね……まぁこれだけ時間を忘れて喋るぐらい思いは強いわけですが、裏返しの部分もあるんですよね。本当に本音を言いますけど、今はこぶりなとは若干距離を置いているんですよ。ちょっといい思い出にしておきたいという感じです、正直。時代背景が違うというのもありますが、僕のなかではこぶりなの時にしきれなかった積み残したこととか、こうしたかったな、みたいなことも思い出しますし。だから書体制作は奥深いですよ。
最初は特定の女性誌に特化して、その品目のためだけに、あるデザイナーのニーズのために、ってことで作ったわけですが、これだけいろんな書体がある種の飽和状態にあるなかで差別化を図っていける「何か」があるとすると、何かに特化した方向にならざるを得ないのかなっていう気はしますよね。そうすることで尖った仕様を考えられるんじゃないですか。汎用性は無いけれども特定の使い方をする上では完璧という、そういうフォントってあり得るんじゃないかと思います。最近もそうした尖ったフォントが出るのを見ると楽しいし、ソフトウェアとしての一面のフォントって見たときに「まだできることってあるよな」と。もっと特化していくと、もっと掘り下げ方があるだろうって思うんだよね。
紺野:
こぶりなはその側面もあっただろうと。印刷会社発信でね。何気ないやり取りから始まって、字游工房とSCREENの協力もあったから、ということはもちろんありますけれども。そこに僕はすごく可能性を感じてもいるんですよね。まだまだやれることはありますよ。当時のSCREENさん側の背景なんかについては、担当していた豊泉さんにも話を聞いてみたいですね。
SCREENとこぶりなゴシック
SCREENの立場で当時のこぶりなゴシックの開発を知る、紺野さんとも親交が深い豊泉昌行さんにもお話しを伺いました。
新しいこぶりなゴシックから感じる可能性
正木:
最後に今回発売されるこぶりなゴシック W0をご覧いただきたいと思います。忌憚ないご意見をいただければと思います。
紺野:
うん。なるほどね。実は当時その女性誌のデザイナーさんに「W1でも太い」と言われました。実際にはそんなことないんですが、デザイナーさんの言わんとすることはわかる。細さでいえば、グラビア印刷ですから余計にじむんです。だから特に白抜きでW1なんかやられた暁にはっていう部分では嫌われてましたね。だけど今なら印刷やオンスクリーンなどの精細さが違いますから、この細さはあり得るんじゃないですか。だから僕は大歓迎。
紺野:
だけど、W0を本文級数で使うのは、なかなか難しいじゃないかっていう気はする。もちろん意図的にそれがはまるケースもゼロではないと思うけど、相当な必然性がないと奇をてらっただけになりかねないから難しい。それこそ発端となった女性誌のキャッチコピーのような使い方、大きい級数でドーンっていうニーズですよね。そうするとW1でも太く見えるので、W0が活きてくるっていうことがあると思います。
正木:
ありがとうございます。こぶりなゴシックの生い立ちを余すところなくお聞きでき、また現在のこぶりなゴシックとの関係性や、新しいこぶりなゴシックについても感想を伺うことができました。長時間のインタビューにお応えいただき、本当にありがとうございました。
おわりに
今回はこぶりなゴシック誕生に深く関わった紺野さんへのインタビューを通じて、DTP草創期のMacと書体事情、こぶりなゴシックが背負ったDTP化の流れとそれをささえた人たち、今後の書体制作にいたるまで深く広く語っていただきました。多くのデザイナーに人気である理由を余すところなくお伝えできたと思います。
最後にお知らせです。こぶりなゴシック W0が2024年2月にリリースされました。ふつうで素直でやわらかいこぶりなゴシックファミリーを、あなたのデザインに活用したり、街やオンスクリーンでぜひ探してみてくださいね。
新しいこぶりなゴシック W0はダウンロード製品やボリュームライセンス製品、サーバー用製品として購入いただけます。そのほかこぶりなゴシックを含むヒラギノフォントの詳しい購入方法はこちらの記事をご覧ください。
※「こぶりな」は、株式会社SCREENホールディングスの登録商標です。
※「文久体」はTOPPANホールディングス株式会社の登録商標です。