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DTPディレクター紺野慎一氏に聞く!こぶりなゴシック誕生秘話【前編】|DTP草創期の時代とフォント

2024年2月14日にこぶりなゴシックファミリーの新しいウエイト「こぶりなゴシックW0」がリリースされました。

「こぶりなゴシック」は2006年に販売を開始したフォントで、エディトリアルデザインを中心に高い評価を獲得。今なお根強い人気を誇っています。2006年にW1/W3/W6を発売、2021年に最も太いW9を追加。そしてこのたび、最も細いウエイトの「こぶりなゴシック W0」が新たにラインアップに加わりました。

今日において雑誌や広告、Webサイトなど様々なメディアで使われていますが、もともとはある女性向け雑誌のために開発された書体だったということはご存知でしょうか。

フォントの数が少なくプロが使うものではないと揶揄されていたDTPの草創期、デザイナーの期待に応えるために、苛烈なフォント開発プロジェクトが始まりました。
そのフォント「こぶりなゴシック」の開発に深く関わられたDTPディレクターの紺野慎一氏に、誕生秘話を前後編でじっくり語っていただきました。
前編では、こぶりなゴシック開発に繋がる紺野さんのバックグラウンドから、何がきっかけとなり開発がスタートしたのかをお伝えします。こぶりなゴシックの魅力だけでなく、ほかでは知ることができないDTPの世界を楽しく知ることができますので、ぜひ最後までご覧ください。
インタビュアーはヒラギノフォント公式note編集部の正木です。

紺野慎一
1970年東京生まれ。都立工芸高等学校デザイン科を卒業後、デザイン事務所・制作プロダクションを経て1993年に凸版印刷株式会社(現TOPPAN株式会社 以下、凸版印刷)入社。数多くの書籍、雑誌の組版設計をディレクターとして行い、特にフォントディレクションに注目が集まる。著書として『組む。InDesignでつくる、美しい文字組版』(ビー・エヌ・エヌ新社/ミルキィ・イソベ氏共著)。現在、株式会社星海社 執行役員 プロダクトマネジャーおよび有限会社フレスコ 代表取締役。


紺野氏のデザインへの興味の始まり

正木:
まず紺野さんについてお聞かせください。DTPの草創期から活躍しておられ多方面でお名前を耳にしますが、改めて経歴をお聞かせいただければと思います。

紺野:
そんな大したものじゃないですよ、どこから話せばよいか難しいですね。

紺野:
生い立ちから話すと、小さい頃からタイポグラフィとかレタリングとかにすごく興味がありました。なので自分にはタイポグラフィという原点があると思っています。通信講座を受けたりとかするうちにデザインに興味を持って、物心がついた頃には将来デザイナーになるんだ、と考えていました。なのでデザイン科のある都立工芸に進みました。それで3年生の時に都立工芸にMacが入ってきたんですよ。1988年なので、DTPなんて言葉はほとんど認知されていませんでしたね。そこで卒業制作とかにMacを使ったりしました。そこでのMacとの出会いが進む方向を決定しました。

当時はまだアナログの時代で、ロットリングとかの手を動かして生み出される感覚がなんとなく嫌で、デザインに食傷気味だったということを覚えています。ところがMacを使うことでデザインに対してワンクッション置けたんですね。Illustratorで引く線やPostScriptプリンターから出てくるものが新鮮な体験に感じられました。そこからディレクションだけでなく自分で作ることも含めて昔から今も変わらずに続けています。「Macと共に、DTPと共に」みたいな感じですね。

正木:
文字に始まり、Macでデザインに向き合えたのですね。それから現在までどのような流れになるのですか。

紺野:
当時Macintosh SE/30っていう一体型のMacがあって。確か60万円以上しましたが親に借りて買いました。もちろんちゃんと返しましたよ。その頃「Macintoshの学校」というスクールが開校して、講師を育成するコースに半年行ったんです。それで、そこの講師が起業をするということでスタートアップのひとりとして参画したのが社会人のスタートですね。

当時は小さな会社でしたが色んな仕事の基本を覚えました。でもそこを2年近くで辞めたんです。それで色んなところから声がかかりました。そのうちの一つが凸版印刷だったんですよね。当時DTPができるところは一握りだったんですが、最初の勤め先はDTPも先進的にやっていて、外注先の一つとして凸版印刷とも付き合っていたんです。当時はほかの大手も含めて「DTPなんてプロが使うもんじゃない」という空気感でした。でもだんだんDTPは無視できない存在になって、DTPに特化したショールームを各社が立ち上げた頃でもありました。凸版印刷もTANC(Toppan Axis Network Communicationの頭文字から取った通称)という場所を立ち上げたのですが、それに合わせて入社しました。

凸版印刷での約30年間で「こぶりな」や凸版文久体(「文久体」はTOPPANホールディングス株式会社の登録商標です。)に関わりました。特にこぶりなは僕にとって忘れられない、間違いなく一番といってもいいぐらい思い出深いキャリアです。

Macintosh SE/30
"Se30" by Danamania is licensed under CC BY-SA 2.5 DEED

DTP草創期の時代の空気

正木:
当時のDTPはどのような面でプロが使えるようなものではなかったのでしょうか。

紺野:
まずプロが求めるクオリティを実現できないということがありました。フォントは細い明朝体と中ゴシック体の2つしかない。一方で写植は多書体化もされ、数もクオリティもDTPは写植に太刀打ちできませんでした。出版社も当時DTPに対して非常に懐疑的でした。当然だと思います。

一方で僕は「DTPは絶対今後来るだろうな」と期待やワクワクがありましたね。ほかのデザイナーもそう見ていました。なので完全にボトムアップ、波のように押し寄せてきて、30年近くで完全にひっくり返りましたね。今はDTPではない印刷がないわけですから、びっくりですよね。

正木:
制限されたDTPでも紺野さんのなかには見いだすものがあったということですね。

紺野:
デザインはさまざまな工程があってひとりで完結できないという面で、いろいろ諦めないと成立しないものだったわけですが、DTPをやることで、自分で責任を取る覚悟さえあればこだわり続けることができる、という。それはDTPのそもそものフィロソフィー的な部分だと思いますね。

正木:
Macが一般化するなかで業界的な変化はありましたか。

紺野:
日本語PostScript対応プリンターが1989年。その頃はフォントもまだ2書体でしたが、1995年ぐらいになるとMacの値段も多少手に入りやすくなり、フォントが少しずつ増えていった感じがあります。良し悪しはともかくモダンなゴシック体も出てきましたし。景気も悪化してわらをもすがる思いで早く・安くやっていかないといけない状況だったと思います。あとはジョブズがAppleに戻ったのが1997年、1998年にiMacが発売されて、2000年のMacworld Expo/Tokyoでヒラギノフォントのプレゼンがありましたが、今思えば大きな転換点の一つではありましたね。

写植への「全然敵わないな」という思い

正木:
写植の文字に対する憧れのようなものはどのようなことで生まれたのでしょうか。

紺野:
当時は雑誌でも書籍でもとにかく写植の時代だったわけですが、会社としてはDTP化を進めるというところにいたので、写植でできたデザインをDTPの書体に置き換えたらどうなるのかっていう「見本組」をひたすらやってたんですよ。でもフォントがないから、例えば写植のいろいろなゴシック体を全部中ゴシック体に置き換えて組むわけです。それで比較すると、もうどんなに心を込めてやっても「もう全然敵わないな」って。もう諦めです。でも見本組でDTPを売り込まないといけない。この葛藤はメンタルをやられそうになりましたね。それを何年間もずっとやっていました。納得しきれない見本組を作っては「写植からDTPにしましょうよ」って売り込んで……。

当時の見本組で、写植の文字をフォントに置き換えると、明朝は普通の人が見たら気づかないぐらいのところまでは行ったんです。でもゴシック体に関しては素人でも違いに気づく。「どの辺が違いますか」って聞いても「よくわかんないけどなんかイヤ!」みたいな。本当にその通りなんだよね。良い悪いっていう以上に「慣れ」がある。それから写植のすごさって組版のシステムとセットだったってことですよ。だからもし僕も当時の写植メーカーの立場だったら、フォントだけをオープンにするという判断は易々とできない気がする。書体だけで成立するものじゃないからね。

それで話を戻すと、写植の組版を元に毎回大きなため息をつきながらDTPで見本組を作っていた、ということがルーツといえるんじゃないですかね。DTPの組版ソフトがダメなのか、書体がダメなのか。良い書体や良い組版って何だろうと考えながらね。

時代が後押しするこぶりなゴシックの誕生前夜

正木:
そうした背景から、DTP用に新しい書体としてこぶりなゴシックを、となったのですか。

紺野:
そうですね。こぶりなゴシックの背景としては、DTP化、最後の創刊ラッシュ、そして著名マガジンデザイナーさんのデザインの影響力がありますね。

紺野:
ここから本題のこぶりなゴシックの話になっていくわけだけど、そうした創刊ラッシュのなかで、ある女性誌の臨時増刊号の売れ行きが良くて、そこから新規創刊されるらしいとなって。そうすると社内では営業・工場を含めてあれこれ検討に入るわけです。

印刷の面では、当時グラビア印刷はオフセット印刷より圧倒的に色の出方が良かったんですね。なので女性誌はやっぱりグラビア印刷で、となるわけですが、設備や工程が大変なんですよ。それに輪をかけてアナログの工程があってしんどいと。そこでDTP化して少しでも軽くしよう、となったわけです。工程の面では、グラビア印刷のデジタル化となるとダイレクトにシリンダーへ彫刻するっていう工程があるんですが、製造ラインを引くためにDTPもセットになっていくんですね。そうした面からDTP化は大命題になっていったんです。

そうして印刷や工程の提案が決まり、7月の七夕の前後にその新規創刊向けのプレゼンの場があって、最後に「これはDTPだな」って話になっていくんですが、DTP化に対してデザイナー、編集長から反対が入るわけです。「DTPは書体がお話になんないからあり得ない」と。

それでそのプレゼンが終わってすぐ、その場にいた凸版印刷の社員から電話がかかってきたんです。その彼はもう製版一筋で、シグマグラフとかSCREENさんの製版のラインでずっとやっていたんですよ。レナトスを出す前のだよね。僕は製版なりで困った時は彼に相談したし、文字や組版に関しては彼から相談を受けるっていう信頼関係がある仲でした。

それで僕も見るわけですが、その臨時増刊号もご多分に漏れず写植バリバリだったわけです。モダンゴシック体はあんまり使っていませんでしたね。売れっ子のアートディレクターが手がけていたんだけれども、特徴的だったのは写植の一番細いゴシック体を級数大きめにガーンと使っていたことでした。だから今回のこぶりなゴシックW0もそれを思い出すんだけれども、細いゴシック体をタイポグラフィ的に誌面で使っていたんです。

時代の潮流でゆるく組むとか詰めて組むとか流れってあるじゃないですか。当時は写植でツメツメが全盛だったんですが、細いゴシック体を非常に大きい級数で使うのは新鮮だったわけです。ましてそのウエイトはDTPにないわけですよ。今だってあんまりないんだけど。そうはいっても太さだけ似ているモダンゴシック体で組もうものなら火に油ですよね。デザイナーから「なにもわかってないな」と言われます。でもオペレーターに見本組を頼んだらそういう見本組が出てきますよ、ないんだから。けれど、それはもう絶対に見せてはいけないものなんだよね。「わかってないな」ってなりますよ。だから相談された時は頭を抱えましたね。

それで、「腹案がないわけじゃないけどお金かかるよ?」って言ったわけです。そうしたら「お金はいいんだよ」っていう。会社としては社運を賭けてとにかく女性誌を獲得せよっていう状況だったんですね。

それで、その腹案っていうのが当時字游工房の鳥海修さんが温めていたゴシック体だったわけです。

紺野:
当時鳥海さんとは会っては飲みながら色んな話をしていて。けれどゴシック体に関していえば鳥海さんに限らず総じて書体作る人はあまり積極的にやりたいとは思っていなかった。だけど僕は「今後会社をやっていく上ではゴシックをやっていかないと」ってことはずっと言ってたんですよ。「いやぁ〜、俺はいいなぁ〜。」とか言って。そんな話をしていたので、ゴシック体のプロトタイプや下書きは見せてもらっていたんです。

会社からは「お金かかってもいいよ」と言質が取れたので、その場ですぐに鳥海さんに電話しました。「とりあえず話は聞く」と言ってくれたので17時過ぎに二人で高田馬場に飛んで行きましたね。その場では結論が出なかったと思うんだけど、とにかく待ったなしだから結局やろうってことになっていったと思います。

それで翌週の出版社との打ち合わせで営業が「今フォント作ってますから」って言っちゃうんですよ。事実ではあるんだけども言い方ってあるじゃない?「サンプルお持ちするんで判断していただけませんか」って。それでみんなが「えぇ?!」みたいな。期日が2週間もないわけ。仕方がないので鳥海さんと相談して、見開きページ分作れる文字だけ作ろうと。フォント化して組める状態にして。2000年当時ですからそれだけでも大変な作業ですが、一番細いゴシック体をバーンと大きく使っている、タイトルまわりのW1の文字も作って持って行きましたね。それを持って、鳥海さんにも同行してもらってプレゼンをしたんです。

そうしたら先方は「まさか本当に作ってくるなんて!」となるわけです。デザイナーはめちゃくちゃ驚いてましたね。最終的に「細かいことはあるけど、これでいきますか」ってなったんです。

だけどそれからが大変で。だって全部作んなきゃいけないわけじゃないですか、普通のフォントとして。もう創刊まで半年なくて。字游工房とは散々無茶をやりましたけどこぶりな以上に無茶なスケジュールはないと思いますよ。漢字をヒラギノでやるといえども半年もないなかで、それも3ウエイト。それはデザイナーの要求で絶対に必要だったから、どのウエイトも外せないんです。

後編へ

後編ではこぶりなゴシックが半年もないスケジュールのなか、どのように開発が進められ、どのように広まっていったのか。そして今後の書体制作にいたるまでを語っていただきます。

インタビューの後編はこちらからご覧ください。
https://note.screen-hiragino.jp/n/nc3a01ca9333a


こぶりなゴシック W1、W3、W6、W9に加えて、この2024年2月にW0が加わりました。普通で素直でやわらかいこぶりなゴシックファミリーを、ぜひデザインのなかで活用してみてください。

新しいこぶりなゴシック W0はダウンロード製品やボリュームライセンス製品、サーバー用製品として購入いただけます。そのほかこぶりなゴシックを含むヒラギノフォントの詳しい購入方法はこちらの記事をご覧ください。

※「こぶりな」は、株式会社SCREENホールディングスの登録商標です。
※「文久体」はTOPPANホールディングス株式会社の登録商標です。

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