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英語か米語か?簡体字か繁体字か?〈エリックの多言語文字散歩〉

みなさんが多言語対応を行う場合、対応すべき言語はいくつあるか?と言語数を把握したくなるかもしれません。そうすると、いきなり中国語の「簡体字」「繁体字」という壁にぶつかることでしょう。「簡体字と繁体字はどう違うの?」「一カ国語として数えていいの?」などなど、素朴な疑問がいっぱい出てきます。

残念ながらすべてが解決できる簡単な回答はありませんが、今回はあえてそれを切り口として、専門用語をできるだけ使わずに、多言語対応における「文字」と「言語」の関係性について解説します。


言語と文字、似て非なり

多言語対応といっても、まず説明しておきたいのは「言語」と「文字」の違いです。もちろん口で話しているのは言語で、それを書面で表記したものが文字ですね。当たり前のことなのでふだんあまり意識しないかもしれませんが、けっこう重要なポイントなのです。

みなさんもよくご存じのABCから始まるラテン文字は、英語でもフランス語でも使われていますし、日本ではローマ字表記の文字としても使われています。

ラテン文字を使って英語を書くときはAからZの26文字で済みます。ところがフランス語のラテン文字はいくつものアクセント付き文字(é ï ûなど)が必要となり、日本語のローマ字表記として使う場合でも長音記号をつけたい場合があるでしょう。つまり、一言に「ラテン文字」といっても、色々な言語を表記できて、それぞれの言語におけるラテン文字自体も少しずつ異なります。

同じことを漢字に置き換えて考えてみましょう。

漢字という文字があれば、北京語も香港語も書けますし、日本語を書くためにも必要になります。一言に「漢字」といっても、広東語にしか使わない漢字もありますし、日本で使われる日本漢字・国字と呼ばれる漢字もあります。

ややこしく感じるかもしれませんが、とにかく「言語」と「文字」は必ずしも一対一の関係ではないことを念頭に置きましょう。ラテン文字=英語、なんて簡単に考えられないということです。

日本でも東京オリンピックを契機に、地名などの表記をローマ字表記から英語表記に直してきました。アメリカ人にとってはわかりやすくなる一方で、ローマ字を頼りにしてきたフランス人にとっては「読めなくなる」ことにつながる場合があります。多言語対応を行う場合には、言語と地域がどのように関係していて、影響を与えるかをまず考えることが望ましいでしょう。

「観光立国の実現に向け、外国人旅行者にも分かりやすいものとなるよう」に、道路案内標識をローマ字表記から英語表記に変更されました。Ave. という略語が分かりやすいかは置いておいて、とにかく現場は対応に追われ、町中の標識がシールだらけになってしまいました。

今さら聞けない、簡体字・繁体字の違い

中国語の簡体字は、漢字を簡略化してできたものであることは、みなさんご承知の通りです。漢字の歴史が長いため、簡略化自体は各地で発生しています。日本でも今さらもう「廣島」とは書かず、普通は「広島」と書きますね。中国の簡体字ではさらに略して「广岛」と書きます。

現状からいうと、中国本土では、共通語はいわゆる北京語で、文字は簡体字を使います。台湾では、言語は同じ北京語ですが、文字は繁体字を使います。香港では台湾と同じ繁体字を使いますが、香港語を表記します。シンガポールとマレーシアで中国語を使う場合、公式は中国本土と同じの簡体字を使うのは、意外に知られていないかもしれません。

つまり、同じ漢字でも地域によって公式とする文字が違う、というややこしい状況になっています。中国語版のウィキペディアは違う地域向け、いくつもオプションがあります。

Wikipediaの中国語版では「中国本土簡体字」「香港繁体字」「マカオ繁体字」「マレーシア簡体字」「シンガポール簡体字」「台湾繁体字」という6つのモードがあり、自由に選択できます。
出典:维基百科,自由的百科全书

英語か米語か?

中国本土と台湾は同じ北京語ですが、地域によって物の呼び方などが違ったりします。その場合は言葉そのものが違い、単なる「簡体字と繁体字」という文字の差では表現しきれません。

別に不思議なことではありません。同じ英語でも、イギリス英語とアメリカ英語の違いがあります。日本国内の英語表記はほとんどアメリカ英語ですが、世界を見渡すとどうでしょうか。ヨーロッパではむしろイギリス英語が多い状況です。日本では、エレベーターのことをアメリカ式のElevatorと書く場合がほとんどですが、元イギリス領の香港では、イギリス式のLiftと書きます。ふだん慣れている単語と異なる単語が出てくると、違和感が生まれます。

看板・サイネージなど数秒しか見ないものに比べ、Webページのような読み物で違和感が長く続くと、居心地が悪くなるかもしれません。

出典:香港地下鉄のサイネージシステムでは、エレベーターの英語としてLiftと表記しています。(出典:[Wikipedia]车公庙站 (香港)

結局どう着手すれば良い?

多言語化する際、何カ国語に対応するか?を考えるよりは、まず「対象地域はどこか」から考えましょう。そうすると、ふだん無意識に使っている「何カ国語」という表現自体があまり適切ではない、ということがわかってくるはずです。ひとつの国にひとつの言語とは限らないですし、ひとつの言語は一種類の文字に限らないからです。先入観を捨てて、ユーザー目線で考えましょう。

今回の文字散歩では、中国語対応といっても安易に「簡体字と繁体字だ」という考え方を止めて、対応地域を決めるのがポイントであることを解説しました。ウェブサイトのローカライズであれば、地域ごとに細かく分ける必要がありますし、看板・サイネージなどスペースに制限がある場合は、全部の言語を表記するのはまず不可能だと意識しましょう。簡体字があれば繁体字も欲しくなる気持ちはわかりますが、以前の記事で書いた通り、地下鉄の出口案内であれば、そもそも日本漢字だけで十分である場合もあるのです。

著者プロフィール

エリック・リュウ
中国生まれ、東京在住。The Type編集者、W3CのInvited Expertとして「中国語組版要件」議長担当。ニューヨークTDC顧問理事。日中韓を始めファンドリー数社の多言語書体プロジェクトでコンサルタントを務める。著書に『孔雀プロジェクト:中国語組版考え方の再建』、訳書に小林章氏の『欧文書体』『欧文書体2』など多数。